現在唯一残っている礁渓石橋は、以前カバラン族の集落であった武暖に位置しており、清代には礁渓と宜蘭を結ぶ官有の道でした。現在の礁渓鄉は四城駅裏からすぐの所にあります。 以前、石橋の下を流れる水路は幅が広く深かったので、船での通行が可能でした。橋の中央は盛り上がり、両端に向かって傾斜がありました。また、武暖石橋という名前は、武暖港に因んで名付けられたものです。当時の住民は、武暖から船に乗り、卅九を通って二龍河へと出て、そこから海へ出ていました。武暖石橋の東北端には、福徳廟という「福徳正神土地公」を祭った廟があり、吳沙氏族が蘭陽を開墾し始めた際に祭られたと伝えられています。廟の傍らには一本の古いガジュマル(榕樹)が聳えており、その木陰に入ると、ふと地元の住民が将棋を指したり、日常のおしゃべりを楽しむ様子を垣間見ることができ、農村生活の温かい情景が感じられます。